○注目ワード”日和見的な”と今日の備忘録

皆さん、オハヨウゴザイマス・・・!

朝から満腹になるほど食べ過ぎてしまいました。

けっこう盛んにインターネットでは「日和見的な」にまつわる事が話題になっているという話ですね…。

なるほどなるほど。

ちなみに・・・

【質問内容】

幕末に雄藩となった長州、薩摩、土佐、肥前などについて基本的な質問をします。 御存知のように江戸時代の藩の規模としては、徳川家、御三家、松平家に次ぐのは、加賀の前田(100万石)、陸奥の伊達(62万石)、筑前の黒田(43万石)、安芸の浅野(42万石)などとなります。ところがこれらの大きな藩は幕末にはほとんど影響力を持たずに、長州、薩摩、土佐、肥前の後塵をはいすることとなりました。もちろん、長州、薩摩、土佐、肥前は藩政改革が成功して幕末には影響力が強かったことは知っています。 でも、コーエーのゲーム「維新の嵐 幕末志士伝」などのデータでも前田、伊達、黒田、浅野などは日和見主義か藩主独裁が強く、長州、薩摩などのような勤王の志士という人々はあまり出ませんでした。さらに、長州の毛利、薩摩の島津、土佐郷士の長宗我部というのは全部、関ヶ原の元西軍負け組であり、「慶長関ヶ原の恨みを晴らす時がやっと来た。徳川幕府を倒して次の政府は我々が作るのだ」という気概がすごく強かったように感じます。 自分の家族、親せきは宮城県北と仙台市出身なので、仙台藩は外様では第2位の規模で侍、藩士の数は多かったはずなのになんで長州、薩摩のような明治の元勲が出なかったのか不思議に思うのです。同じことは、前田家、浅野家、黒田家などにもあてはまります。 なんで、幕末、明治初期の元勲というのは一部の藩に偏ってしまい、他の藩からは尊王、あるいは新撰組、会津藩のような佐幕の志士、英雄というのは出なかったのでしょうか?もちろん、僕も日本史が好きなので幕末についてはまあまあの知識はありますが、上手に説明できる方はいないでしょうか?

【ベストアンサーに選ばれた回答】

>仙台藩はこの中立・日和見主義が災いして、奥羽越列藩同盟の盟主に祀り上げられ、命運を賭ける意思も無いのに戊辰戦争を戦って敗北して降伏に追い込まれます。 inakanokenshiさんデタラメを吹いてはいけません。 仙台は奥羽越列藩同盟の盟主に祀り上げられたのではありません。 鳥羽伏見の戦い後、政府に会津討伐を命じられた仙台は戦争反対の五か条を建白しますが握り潰され、致し方なく討伐の命に従いましたが、同時に会津に降伏勧告をして会津もこれに応じて二度目の謝罪嘆願書を仙台に提出したのが四月(一度目は二月で握り潰され) 仙台は奥羽越諸藩家老連名の嘆願書と共に会津救済を九条に懇願しましたが、返答は早々に討伐せよでした。 結局政府の理不尽にキレた仙台は奥羽越諸藩に激を飛ばし、叛旗を翻したんです。仙台は自らの意思で、しかも会津の為に戦ったのでもない。

引用元

今日の知恵袋には、こんなご相談もありました。

なんとなく、何やらしゃぶしゃぶのことが興味がありますね。

それでは、今日もぼちぼち粉骨砕身しましょう・・・!

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